2年前に入社してきた、地方青年会議所でリーダーを務めた経験がある男性。
彼の経歴や実績を見て、リーダーシップ発揮できる才覚がある人材だと判断した。
面接の際も情熱を感じ、前向きに仕事に取り組んでくれると感じたのだ。
しかし、入社から2年経ったいま、彼の仕事に対する熱意はすっかり薄れてしまった。
リーダーシップを取ってくれるような素振りもなく、与えられた仕事を淡々とこなしているだけだ。
なぜ、こうなってしまったのだろうか。
上司として、私は丁寧に仕事を教えてきたつもりだった。
自分の経験から「こうするのが最適解」と思うことを全て伝えた。
彼も素直に話を聞き、私の指導に感謝してくれていたと思う。
半ば強引にプロジェクトのリーダーにしたこともあった。
そのとき、彼が今までの慣習とはまったく違う方法でプロジェクトを進めようとした。
私はバランスを取るつもりで「これまでは、うちの社内ではこうしていたんだ」と伝えた。
それがかえって彼のやる気を削いでしまっていたのかもしれないと、いまでは反省している。
彼の能力が十分に発揮されない原因は、私の上司としての立ち回り方だったのかもしれない。
スティーブン・R・コヴィーは、「第8の習慣」の中で次のように言っている。
主体的に率先して動こうとしない態度が蔓延すると、上司のコントロール思考はますます強くなり、細かいことまでいちいち指示し、命令するようになる。部下を動かすにはそうするしかないと思い込んでしまうのだ。このサイクルはたちまち共依存の関係にエスカレートする。お互いの弱みがお互いの態度をますます強固にし、ついには正当化することになる。上司が部下をコントロールすればするほど、部下は指示された行動しかとらなくなり、そして上司はますますマネジメントの度を強める。
たしかに、早く会社のやり方に馴染んでほしいと思い、彼に「会社の慣習」を押しつけ過ぎていた。
仕事のやり方を決める自由も、どういうキャリアを描くのかという自由も、彼に与えられていなかったと思う。
そして、周囲の期待が大きかった分だけ、結果を出せるようにと上司である私自身がプレッシャーを感じていたのかもしれない。
周囲ばかり気にして、彼自身を見ることを忘れていたのだ。
コヴィー博士は解決策についてこう説く。
今の情報・知識労働者の時代には、仕事のあらゆる面において全人格として尊重されている人しか、上半分の行動(喜んで協力する、心からコミットする、クリエイティブに躍動する)は選択しないのだ。公平な報酬をもらい、正当な扱いを受け、クリエイティブな仕事を任せられ、原則に基づいた方法で人間の基本のニーズを満たす機会を与えられてはじめて、喜んで協力し、心からコミットし、クリエイティブに躍動することを選択するのである。
「7つの習慣」の中で何度もコヴィー博士が伝えていた「信頼」。
それを、私はすっかり忘れていた。
まずは、しっかりと信頼関係を築くことが大切だ。
改めて、肝に銘じたい。